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この写真は多分、1年前か2年前のこと。まだ長野の実家にいたときの写真です。
大阪で2度目のひとり暮らしをはじめてから、もう少しで1年になります。
あ!という間のわりに、ぎゅうぎゅうにいろいろな事があって、いろいろと自分も変化したように思います。
謙虚になったり、少し天狗になったり、自信いっぱいになったり、自信喪失になったり、わたしはつくづく人間的な人間やわ。と
思うことがあります。
大阪へきて、いろんな人と関わるようになるうちに、わたしってこんな人間やったかなあーと思うような自分がでてきたりします。
実家で家族と一緒に暮らしていた頃は、田舎暮らしというのもあってかなんとも穏やかな毎日を送っていました。
実家での朝は、当時よく縁側で父と母が朝ごはんを食べていて、2人の話し声や笑い声で目がさめるとこから始まります。
顔を洗って服を着替えたら、わたしも自分の食べる分のごはんを手に縁側へいきます。
小さな庭は、母の第2のアトリエでもあります。
雑草もきれいな花も一緒に共存するうちの庭には、ガチャガチャのおもちゃのとかげや亀が、いかにも本物らしく草むらに隠れて
おり、(母がわざと置くのです)もちろん本物の蛙や、蜘蛛やバッタも共存しています。
父がいれてくれた珈琲を飲みながら、新聞をよんだり、もってきた本をよんでいたり、その横で母は水やりをしていたり、猫のム
ラカミは、塀の上でひなたぼっこしていたり、そうこうしているうちに、弟がのっそりとあらわれて静かにごはんを食べていたり。
天気がいいと眠くなって、朝ごはんを食べながらうとうとするのです。
今考えると、すごい家族やな。と近所の人は塀の外からみていたかもしれません。平日の午前中にこんなにも家族が揃って家にいる
家なんて、一体なにして暮らしている人たちなんやろう。と。(笑)
そんな穏やかな風景の中で、わたしはときどき気持ちが穏やかではありませんでした。
まだまだ若かったので、これでいいのだろうか。という自問自答が常にこころの奥に、あるのでした。
しあわせって、こういうことをいうのかなと思う瞬間は、家族といるといつもあるのだけど、やはり若さゆえに飛び出したい衝動と
自分がつくった幸せを、みつけなくてはいけないんじゃないの。と両親が築いた幸せの中に身を置きながら、考えるのでした。
大阪へきて、実質的な家族という守ってくれるものが遠くになってしまい、ひとりきりで暮らしているのはとても不安でした。
友達や彼氏がいても、なかなかそれは消えない不安でした。
自分を保つために、いろいろとこころの工夫をしながら暮らしているなあ。と思います。それは今もそんな感じです。
ちょっと、気を抜いていると不安に負けそうになるので、奮いたたせようとやっきになります。
この写真をみていると、どこかでまたあのような穏やかな日々を送りたい。というような気持ちもでてきます。
今度、そんな日々がきたとしたら、その時は自分がつくった穏やかな日常であるといいな。と思います。
ひとり暮らしをして、仕事が仕事らしくなりました。
ひとりでなんとかしなくちゃ。と思うようになったおかげで、いただく仕事に感謝の気持ちがより強くなりました。
受注にしても、個展のお誘いにしても、新しい仕事にしても。
これで、食べさせてもらっている。という実感しながらの毎日になりました。
わたしは、今の仕事がとても楽しいと思っています。
仕事をとおして、自分を表現できるということが嬉しいのです。
昔からどこか隠れ目立ちたがり屋だったと、改めて思うのですが、自分を表現する手段をいつも考えていました。
絵が好きやから、文章が好きやから、かばんを作るのが好きやから。よりも前に、自分を表現したい。というのが常にありました。
媒体はなんであれ、自分を表現していきたいのです。これは、最近気付いた自分の事なんですが。
でも、たまに自分というものが混乱します。
自分の中心が、ぷらぷらーとぶれるのです。わたしはまだ25才なので、若さゆえに自分が定まらないところがあるのでしょう。
いろんな人と話しをするたびに、ぷらぷらーとします。
穏やかな自分であるときに、人に会いたいと思っているのに、なかなかどうして、いつも気分が高揚している時に、人と会って
しまいます。そして、周りにわたしのざわざわ感を伝えてしまっているなあ。と少し落ち込むのです。
穏やかな時の自分とはひとりでいる時の自分と、唯一誰かといる時というのであれば、母との時間だったりします。
文章をかいている時の自分は、穏やかな自分です。
若いうちは、先を追いすぎて必死なので、穏やかでいるのが難しいなあと思います。
年を重ねるごとに、もっと自分なりの、いいやん。といえる価値観の中で、のんびり穏やかに暮らせるものなのかな。と、幻想を
抱いているのだけど、どうなんやろう。
このあいだ、父が送ってくれたFAXで、
『おじいちゃんは90になっても、「ワシはこれからどう生きたらええんか」と悩みを口にしていたこともありました。それを見て
いておやじ、もう充分生きたんやから、そんな若いもんみたいなこといわんかて。と思ったものだけど、あれが人間なんやねんなあ
と思ったものでした。たいへんは、死ぬまであるそうですな。』
父の父である、わたしの祖父の話しです。
さて、自分は今どんな自分にむかっているのか不安でもあり、どきどきでもあります。
若いときには若い時なりの、大人になったら、大人なりのしんどさや、不安な気持ちがあると思うのだけど、たまに訪れる、人生
の中の穏やかな時間を持てる自分に、少しずつなりたい。と思うのです。
最近、友達からあやちゃんは若いくせに、年寄りくさいーとよく言われます。
た、たしかに。
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