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04.11/8 デュシャン展

昨日の日曜日、マルセル・デュシャン展を、中之島の国立国際美術館へひとり見にいきました。
エルマガジンで、小さいエッセイをかかせてもらって以来、エルマガジンを毎月買うようになったので美術館、映画情報が
まめにチェックできるようになりました。
ますますひとり歩きの日々です。なかなか楽しい日々であります。
わたし、画家の娘でありながら美術において結構疎いのであります。
「印象派」「キュビズム」などの言葉が並ぶと、ちんぷんかんぷんです。今でも、まあそんな感じです。

マルセル・デュシャンの事も、なんかちょっとけったいな事した人。くらいな知識でした。
デュシャンの作品で有名なのは、この男性用トイレを「泉」とした作品。
「けったいな事」をした先駆けの方なのでしょう。デュシャンに影響されて、けったいな事をしたアーティストも数多くいます。
既製品を、みる角度によって違うものにみせてしまうという手法、春に松本市美術館でみた「素と形展」を思い出します。
レディメイドの展示(泉のほかにも、自転車の車輪やスコップなどが展示されているところ)の横のパネルに、こんなことが
かいてありました。覚えきれないから、図録から抜粋。
「既製品を本来の文脈から別の文脈(芸術)へ「ずらす」だけでなく、言葉を書き込んだり、少し手を加えたりして、本来の
意味や形から「ずらす」ことによって、そのモノに全く別の角度から光を当てるのである。」
なるほどなあ。これ、芸術ならではのものの見方。改めて、そういう多角的にものを見る事のおもしろさを感じます。
でも、またずいぶん思いきった事しましたね、デュシャンさん。

体力がない私は、美術館は、企画展をみるだけで精魂つきます。
常設展示の時は、もう集中力がなくなってるにも関わらず、もったいないからという理由で、重い図録を抱えてふらふらに
なってピカソや、ウォーホール、イサムノグチなどの作品をみました。すごいのやろうけど、もうなんだかよくわかりません。
肩がこりました。家に帰ると肩こり頭痛になりました。やっぱりヨガに行こうと思いました。
日曜日だったというのもあるし、中之島美術館、新しくできたというのもあって、人が結構いました。
でも、私は多少の人ごみで見たほうがリラックスして見ることができます。
美術館の隣にある科学館のプラネタリユウムも行きたいなあ。と結構前から思ってます。
小学校の3年生くらいの時に、この科学館へ遠足にきました。多分科学館ができて間もない頃。
初めてみたプラネタリュウムにかなり感動したのを覚えています。別世界のようでした。あんな感動、大人になってもまた
できるかな。もしできなかったら、あの感動を塗りかえるの嫌やなあ。と思ったりもします。それくらい感動しました。
美術館や科学館の向かいには、grafがあります。ひとりじゃなかったら、ここでお茶して感想を言い合うのになあ。
と思ったりします。
いやいや、結構ひとりも楽しいのですけども。いや、ちょっとなんとなく。

デュシャン展、12月中旬頃までやってます。11/20にはマン・レイのDVDの映画上映もあるそう。20日に行けばよかった。

04.11/3 写真のはなしのし

わたしはけっこう写真を撮るのがすきです。
でも小心者なので、撮りたくても撮れない。ということが結構あります。なんというかまあ、自意識過剰なのです。
この写真は、このあいだ鎌倉へ行く道中で撮った写真です。母や弟がいたので、心おきなく撮れました。
ええと、どんな写真かというと今、ダウンダウンのまっちゃんが携帯電話のCMで「日本って、おじさんとおばさんの国なんだ」
といっているCM、知ってますか。あの広告です。で、それをみつめるおじさんと、カップルです。
後姿なので、まあみつめてるかどうかはわかりませんが、おじさんがこれを見て何考えてるか気になって、撮ってみました。
電車の中から撮ったので、窓枠もみえます。

わたしの高校時代、ヒロミックスの処女作ともいえる写真集が発売されて、一気にカメラ(写真)ブームになりました。
あの写真集、当時の私にはかなり衝撃的でした。なんだかとてもリアリティがある!と思ったのでした。
女子高生はみーんな、小さいコンパクトカメラか使い捨てカメラを持ち歩いていて、わたしも例外なくカメラ持ち歩いては、
当時の自分の姿、彼氏、友達、風景など、とにかくたくさんその時の自分の日常を、撮りました。なんだか今しか撮れない
ものを!という気分が強くありました。なんとなく十代ってそんなとこありますね。

わたしのカメラは、家の物置きにあった古い一眼レフの手動のカメラでした。
お金がなかったので、わたしはよくその時々の流行りを家の中からみつけてきては使っていました。ファッションなんかも、
70年代が流行れば、母や祖母のふるーい洋服をひっぱりだしてきて、堂々と着ていたりしたし、カメラだって、ヒロミックス
が持っているような小さなカメラは買えないわ。とすぐに諦めて、家の中にあるその古いカメラに、どこかファッション性を
感じたのか、結構重たいのに教科書と一緒に毎日持ち歩いては、撮っていました。
でも、そのカメラというのが古いせいかレンズの中にカビがはえていたんですね、現像するとセピアっぽい色ででてくるんです。
当時は、カビがはえてるという認識はなく、古いカメラで撮ると雰囲気のある写真が撮れる!ととても感激したのでした。
そして、そのカメラで撮った写真を写真集にしよう。と思いました。
父がやってみたら。といったのか、私がやりたいと思ったのか、ちょっと思い出せませんが、まあ多分父の影響でしょう。
わたしが撮った写真は、1枚1枚にはそんなに魅力がありませんでしたが、本にして編集すると、なんだかちょっと魅力がでて
きました。アラーキーが好きだったというのもあるのか、そんな影響もあるのかも。
アラーキーの写真集で、裸の女性の頁が続く中で、ふっときれいな花の写真とかがあったりするでしょう。あの感覚、好きなの
です。写真集は、編集の仕方でぱっとするのや。と思ったんです。
北野武監督の映画も、そういう感覚がありますよね。暴力シーンが続く中で、ふっときれいな風景や花がコマ割りみたいに
あらわれるような。あの感覚、なんだか、すかっとするような感じがして好きなんです。
話しがどんどんそれます。なんの話をしていたんだっけ。
写真集の話しです。その写真集、家にあったコピー機で作りました。カラー写真をA4サイズに拡大してわざと荒っぽい印象の
白黒コピー機で印刷したんです。そしてコピーした写真達を本のようにして何回も並べかえて最初から最後まで一気に見るの
です。何度もその作業を繰り返しているうちに、ふっと流れというか、雰囲気というか、空気みたいなものが本の中に入りこむ
んです。無意識に、ばらばらに撮った写真にストーリーをつけるような感じかもしれません。
今でもその感覚は、クルールのカタログ本を作る時に感じる感覚です。うまく、流れにのれた時は気持ちがいいのです。
ああ、また話しがそれてきそうです。今は、写真集の話しです。
わたしの撮った写真は、わたしの17才?18才そのもの。という感じでリアリティがありすぎて、客観的にみたら、ちょっと冷め
るよな。という感じだったのだけど、白黒のコピー機で、そのリアリティを少し削ぐことができました。
冒頭には、父のアイデアで私が子供の頃かいた、イラストつきのお話をいれました。子供らしくてかわいい絵です。そこの部分だ
けカラー印刷です。子供の頃の絵をカラーにすることで過去にリアリティをつけ、現在(今ではそれも過去だけど)を白黒にして、
リアリティをなくしたのです。
4頁程のマンガみたいなお話が終わると、いきなり青春まっただなかの写真集がはじまるというわけです。
こうやって書いていると、久々にその写真集みたくなりました。なかなか、色々と考えていたんやなあと思ったりして。

あの頃、写真を撮りたくなる瞬間で多かったのは、「電車の中」でした。
でもさすがに人の目があってあまり撮れませんでした。
人間を撮りたかったから、余計です。勝手に撮ったらおこられるもんね。

今、撮りたくなる瞬間はなんやろう。
よく行く商店街の野菜屋さんで並んでいる野菜を撮りたくなったりします。でもそんなのも勇気がなくて撮れません。
なので、こっそりマンションの部屋からみえる夕焼け空を、毎日撮ったりしています。
夕焼け空、毎日毎日、違う形をしているんです。
そういえば、今「雲」を撮ったドキュメンタリー映画がやってるな。(わたしの話は、つくづく支離滅裂やなあ・・)
そうそう、カタログ久々に更新しました。ふゆのようふくです。写真を大きくしたらみやすいかと思って大きくしましたが、
わたしの顔もでかでかとなってしまって、ちょっとそれはそれで恥ずかしいなあ。と思ってます。
まあ、いいか。仕方ない。

04.11/1 書きたい事順に。


八木一夫展覧会図録より

風邪をひきました。
京都の近代美術館に、八木一夫展をみにいきました。
京都にある父方の祖父母のお墓参りにいきました。
鎌倉にある母方の祖父母のお墓参りもしました。
鎌倉の小津監督のお墓参りもしました。
ギャラリーhacoで、美味しいスープをいただきました。
バナナムーンで、冬の洋服のカタログ写真を撮りました、が、
うまく撮れていませんでした。なので、カタログ更新、しば
らくお待ち下さい。
ええとそれから、長野の実家で、秋の紅葉をみにいきました。
黒部ダムのほうは、もう息も白くて、もうすでに冬になって
いました。そして、大阪へ帰ってきたら風邪をひきました。

書きたい事から順番に。
さっき、八木一夫の展覧会図録をみていたら、八木一夫展
のことから書きたくなってきたのでそこから。
父がおじいちゃんの墓参りのついでに、八木一夫展みにいくか。
と言って、私の大阪帰る日にあわせて車で京都まで行きました。
京都の近代美術館で開催されていた、(10月いっぱいで終了)
八木一夫展。図録には没後25年と書いてあります。
もうずいぶん前の人ですが、こんな近代的な作品もあったり
します。
八木一夫のお父さんは、有名な陶芸家だそうです。
八木一夫は、陶芸をうつわからアート作品に持ってきた人。
作品は、もう見るのが疲れるくらいあります。
ま、まだあるんかいな。と中盤あたりちょっと思いました。
でも、圧倒的なその創作意欲のもとで作られたという、なん
というかパワーというか、勢いの渦を感じましたよ。
凄い人というのはこの、創作意欲がめっちゃある人やよなあ。
と父と弟と3人で話をしていました。
そんな人の展覧会は、こちらも創作したくなってきます。
紙ねんどでなんか作ってみたくなったわ。という感じ。
展覧会のロビーでは、昔放映された日曜美術館で司馬遼太郎大
先生が、八木一夫についてコメントをしていらっしゃいました。
司馬遼太郎大先生は、美術においてもたくさんの著書を書いて
いらっしゃいます。この方も、天才です。

そうそう、東京では月曜日にマチス展を行く予定をたててしま
い、美術館は休館日でみにいけませんでした。
京都あたりまで巡回してくれないかなあ・・。めっちゃ残念。
そのかわりに青山のオン・サンデーズという洒落た本屋さんで
やっていた、高橋昭八郎展をみました。詩の展示。
言葉を展示しているのです。なかなかよかった。
この本屋、画集などたくさんいろんなのがありました。
ちょっと通ってみたくなるような本屋でしたよ。

葉山のギャラリーhacoへは、長野から母、東京に住む弟と彼女、個展で音楽を作ってくれるという作曲家の佐藤礼央くんと、
なんだかワイワイ訪れました。途中トラブルで逗子についたのがもう夕方頃でした。鎌倉観光できず・・
作曲家の佐藤礼央くんとは、父が偶然訪れた中目黒の喫茶店で流れていた音楽を作っていたという男の子。
図々しくも、個展で音楽作ってくれませんか。といったところ、快く快諾してくださったのでした。年は私よりもお若いのですが、
ついつい敬語になるほど、才能もあり大人でもあり。といった感じの方です。テレビやCMでも音を作っていらっしゃいます。
個展での音楽の話では、おお、そうくるか。といった発想で話しが進みました。
どんな個展の空間になるかな。ギャラリーhacoは来年の秋なので、ちょっと訪れるの、早すぎるんだけども。
ギャラリーhacoでは、hikiさんと柑さんがまたもや優しそうな雰囲気で迎えてくれました。大阪で御会いしたので、今回で2度目。
なんだかお2人の家に遊びにいくような気分で、優しい空間でした。本の展覧会をしていました。母と弟は本選びで必死。なんだか
たくさんの本を抱えていましたよ。(写真にうつっているのが弟とその彼女、赤い袖が作曲家の礼央くん)
お昼も食べていなかった私達は、販売していたパンをいただき(めっちゃ美味しかった〜)、hikiさんが作った野菜のボタージュを
いただき(これもまためっちゃくちゃおいしかった〜)2階を喫茶店のように占領していました。(すいませんでした・・)
ギャラリーをでたら、もう夜になっていました。hikiさん、柑さん、お騒がせしました。でもとてもいい1日になりました。
来年、どうぞよろしくお願いいたします。

もっといっぱい書きたかったけど、ちょっと風邪のせいか体力が落ちているみたいですぐに疲れてしまいます。
カタログの更新、洋服の写真がうまくとれていなかったので、かばんのみの販売になるやもしれません。
でも12月はギャラリ−hacoでのイベント、カフェドゥのイベントなどにもちょびっと参加予定です。そちらもお楽しみに!

04.10/20 ひき続き、頭の中を肥やし中

台風なのであえて映画をみにいってみようと思いました。
サリダの原稿を持っていって梅田までできていたので、ただで帰るのはもったいないな。という気分もあって。
ロシアの映画「父、帰る」をみてきました。
台風で、時間も最終上映時間だったせいか客席はガラガラ。ポテトとカフェオレ片手に、みました。
内容の感想は、これから見る人のためにかかないでおきます。
でも、名作です。パンフレットを読んだら、余計すごい作品や。と思いました。
ロシアという国のこと、ソ連時代のこと、社会主義の崩壊、そんな中で生まれ育った価値観を持つ世代事の人間描写。
映像もすばらしかった。ロシアという国は、こんなにも美しいのか。と思いました。
お客さんは、50代くらいの男性が多かったです。「父」やからかなあ。
映画をみた後は、やっぱりなにか世界が変わってみえます。何か気分を切り替えたかったら、ひとりきりで映画へ行くといいかも。

こないだまで、滋賀から友達がきていました。
その友達と南船場をぷらぷらーとしていて、デザイン書ばかりおいてある本屋でヒニスムをみつけました。
紙の質感と、デザインのかっこよさ、写真のおしゃれさ?(軽い言い方やな)に今まででていた分も、まとめ買いしました。
この本をめくっていると、部屋に無造作においていると、なんだかワクワク?(もっといい言葉ないんかいな)します。
本にかおりがあるとでもいうのでしょうか、なんとなくそばにおいておきたい冊子でした。
写真集を買ったような気分なら、一冊¥1600は安いね。
最近「2」がでたばかりなんだそう。「0」からはじまっているというのも、なんかいいっす。
かっこいいっす。

今週末から、葉山、東京、長野へいってきます。
行くまでに、今きている受注分は仕上げる予定です。なんとか多分、全部できると思われます。
近々、新作のなにかもだそうかな。と思ってます。ツィードのいい生地を買ってきたのです。お楽しみに!
台風、今回は被害がでないといいのだけど・・。大きいみたいなので、みなさんお気をつけください。

04.10/11 ほんもの

昨日、ソーイングギャラリーで、ソーイングのスタッフの中島さんの個展を見に行きました。
中島さんの個展のテーマは「記憶について」。
ギャラリーに入ったら、一瞬、今までの動きや思考をリセットさせられるような気分になりました。
中島さんの個展は、形があるような、ないような、でも、真ん中が存在感を持ってあるような。というような個展でした。
(言葉にするのって、難しい・・・)
わたしは、この個展を見てからその後、なんとなくずっと頭の隅で考えていました。
真ん中の存在感について。

今年の春の「ある日のハナシのシ」展から、わたしは自分の真ん中に重点をおいてみよう。と思って、作品を作り始めました。
それまで、布でなにかを作って、売る、見せる、評価してもらう。ということを無我夢中でしていました。
それはとても楽しい行為で、なんとなく自分の存在意義がぐんと、あがったような気分にもなりました。
でも、どこか真ん中の存在感がなくて、「ほんもの」と感じるものに出会うと、どきっとしたりもしました。
わたしが「ほんもの」と感じたものというのは、「表現している」というものでした。
物質ではなく、その人自身が浮かびあがってくるもの、でした。

考えました。
わたしにとって、わたしが浮かびあがってくるようなものとはなんやろか。
わたしの、オリジナリティとは、なんやろか。
わたしのリアリティとは。
自分の中で自分とむきあいました。
そんな中で、浮かびあがってきたものは「ある日のハナシのシ」でかいてきた、日記でした。
昔から、文章をかくのが好きでした。
「見てもらう」ためにかくのが、好きでした。なので、手紙は小さい頃からよくかいてたなあ。と思います。
自分の考えを、口で伝えるよりも文章で伝えるほうが上手にできました。
いろんな意味で、発展途上の自分を素直に書いていくことは私にとっては衝動のような行為です。
最近、本を読んだり、音楽を好きになった自分が一歩前に進んだように感じて嬉しくなった事、映画は最近こんなのを見るよう
になった。とか、友達との事、恋愛のこともちらっと書いたり、家族との関係ではこんなふうに思うとか、仕事の話、ごはんの
話、天気の話、普通の日常の中にある等身大のリアリティを書きたいのだと思います。
純粋できれいなものだけでなく、いろんな事を経験していく中で生まれてくる見栄や嫉妬やあせりという醜いとされる感情、そ
んな自分に気付いて、恥じて、落ち込んだり自信がなくなったりするのもまた、感情がありきの人間だからこそ、とまたそこに
リアリティを感じて、書きたくなったりします。
だれにでもある感情を、わたしなりに私の事として書くのが、かばんを作ったり、イラストを描いたりするわたしの日常と結び
付けていくのが、わたしのオリジナリティなのかもしれないなあ。と最近思うようになりました。

なんの事を書いているのか、書きたいのか、いつもの事ながらによくわからなくなってきました。
パソコンの前に座ってもう2時間以上もたっています。
ちょっと難しいテーマについて書いているかもしれないです。
なんというか、昨日中島さんの個展をみたら、また改めて考えてしまったのです。
私は自分の中のなにを表現したいのかということ、自分の価値観とは。
今の時代って、情報があふれ過ぎてて、どこからどこまでが、自分独自から生まれてきたオリジナリティかという線引きが
難しくなってきています。
時代に逆らいたい気分もあったり、いいものは、いい。と素直にいいたい気分もあったり、ひとつの所に留まりたくない気分
もあったり、でも、自分だけの変わらない何かもちゃんと持ち続けていたいと思ったり。
そんな中で、なにかを表現しようと小さく手をあげながら悪銭苦闘している自分も、また今の時代のリアリティなのかな。と
今、書きながら、思いました。
うーん、やっぱりなにを言いたいのかわからないのは、結局自分でもまだ答えのでない事を繰り返し考えているせいなのかも
しれません。
でも、久しぶりに訪れたソーングギャラリーではいい個展をしていたなあという事だったんです。
かたちのないものを、表現しようとしているのが、なんだか私にとっては新鮮にうつりました。
中島さんの個展は、17日まで開催しています。
ソーイングギャラリー http://homepage.mac.com/c_u_b/sg/

写真は、ソーイングに行った後、京都の喫茶店mizucaへ行った帰りに撮ったもの。オレンジ色の秋の入道雲。
mizucaの話も書こうと思っていたのに、なんだか上の文章で力尽きた気分。mizuca 、写真撮ってきてないんです・・。
なんだかへんに緊張してしまって。でも、とてもかわいらしい喫茶店とギャラリーでした。
黒蜜のかかったそば粉シフォンケーキ、美味しかったです。展示も、可愛かったです。でも、自分の作品はいつも恥ずかしくて、
直視できません・・。目をそらしながらみにゆきました。
そんな私もまた、私らしくてリアリティがあるわ。と情けないながらに思います。
あらら、もう3時間もたってしまいました。仕事、やらないとな。